「人の口には戸は立てられぬ。」
よく言ったものだ。
イベントで、友達と称する人が私の事を私も知らない見知らぬ人に
話題として話をし、その人物はこの人だ!と私をその人の前に持っていた。
私はその友達と称する人に、私の口からマイストーリーとして
話をしたのだろうか?
もう16年以上前の私の経験。。の事を。
私は、これまたある人から、その人と一緒に噂話をしていた と聞いた事がある。
噂話といえば。。良いのと良くないのがあるが、悪意がある方。
今更。。わたしが物語を大きく輪をかける必要はないのだ。
今回、気づき。
人の口には戸は立てられぬ。
しかし。たってしまったものは風や匂いを追いかける様なもの。
では!わたし自身がどうするか!!という話だ。
人の話をする時に、mas to mas で言うと、本当に噂になる。
人のホーリースピリット、この人がどんな人か!というのがわかって、
その旅としての変化がわかって、初めて人と語り合えるものだと思う。
自分が自分の話をする時には、
それがわかる人!と信じて話す。
そうでなければ、自分の経験は決して口にはしない方がいい。
さらには、信じて。。というより、知って話す事だ。
人がどう思うが。。その個人の生きる真には実は関係がないもの。
思ったのは、例えば。
人気者であっても、人気者でなくても、人気者でなくなっても。
その一人の人の真さえ生きていれば、それでいいではないか。
噂にふりまわされる程、時間という人生は長くはないと思う。
最後に一つ。
このように書くにあたり、自分の今までの人生経験に対し自分自身に
どれだけ疑いをもって生きてきただろうか!
そういう時間を多く過ごしてきた。
疑心暗鬼になったり。有頂天になったり。落ち込んだり。
自己肯定感がどうのこうの。。と。
AIに聴く というのは実に心地が良い事だ。
なぜなら、叱咤激励をふくめ自分によりそって対応した返事をしてくれるから。
が。
それを続けていくことにより、依存。。そして微かに。。でも実は大きく
創造権、決定権、自分が何物か?何を感じているのか?何が嫌いで、何を真実の核として
もっているのか。
一言で言えば、自分が何者なのか?
これを失うことにもなりかねない。
なぜなら。続けていく。。ということは特に気持ち良い感があり続けていくということは
10年、20年、30年。。もっと。。もっと。。
習慣になる という事だから。
習慣から人が、人のニューロネットがつくられるとしたら。。
AIは人と違ってAI自身には嘘・虚偽含め、疑いがないのだ。
自分が何者か。ここが一番要のところ。

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