laughwind

証明しながら生きる?それは在りたいこと?

今日はイベントへ行くつもりだった。
運転をしながら、気分が悪くなってきた。
時間も本当にギリギリ。。
 体調をのかすと、いつものパターン。
 イベント中、体調が悪い時もあった。。。自分が今までを振り返り、出来てるか出来てないかジャッジがつけられていて
落第がつけられてる。。 そう思ってるからだ。

自分で自分が行動をし、✖をつけている。
それがパターン。。かなり長ーい間やってるパターン。

結局、途中折り返して家に帰った。
そのまま布団へ行き、外は天気がよさそうだったが
ながい事寝ていた。

揺れ動く✖か〇か。
まだそういう事をやってる。。自分はイベントへいく参加資格があるのか。
そんなジャッジまで考え、自分を追い込んでいる。

不足と✖。

家に帰ると馴染みの空間、空気があった。
居心地の良さ。。

そんな中。「死ぬ必要はなかった」というタイトルのメールを見つけた。
わたしはソレを見て、死ぬ必要はなかった。。んだ。。と
なんだか深いホッとした安堵感が生まれた。

学んでもしんでしまう。どうせ死ぬ。。
それが。。
死ぬ必要はなかった。。と言ってくれる。
そこに安心があった。

ずーっと、ずっと昔から、この証明書を探し続ける生き方をしてきた様に思う。
それがないと、いくつないと、こういうのがないと。。
まだまだだ!まだダメだ!認めてもらえない!
自分に自分を証明する必要がある!その為に〇〇をする!!
これしか生き方はない!
 それくらい、ずーっと、ずっと持ち続けてきた生き方だった様に思う。
大切だった。わたしの証明書。

少し違うが、私の取扱説明書、私の取説。。なんて言葉もある。

うんざりしている。

ふっと思い出す。
自分自身や人へのジャッジでなく。
世界の闇や不正でもなく。
 量子力学という何たるか!?がある事を知った時。
私はとても自由を感じ、自由の中に入って行った。
それはとてもワクワクすることだった。

そこは、全てが皆平等であり可能性に満ちていた。
閉じるという選択でさえ可能性の一つだと、ただ俯瞰して観る事ができ
そこに無条件の愛。。神を感じた。
 それが私の中にある事を知った。

全てがあり、全てがなかった。それでよかった。佳かったんだ。

そして一つ分かった事。
証明書が必要だから、証明書にこだわった。
これが出来る、これが出来ない。だからコレをして、こうしなければならない。
しかし。。
それがわかった途端、証明書を手に入れた途端、
それを使う使いこなして、続けていって。。という事には
責任をとりたくないから やって来なかった。。と
そこで又自分をジャジし、責任をもたないという不足の中にいるだけで
動こうという気持ちが微塵も出てこなかった。

だが。実際は証明書をとる ことが目的だったので。
ここでいう証明書とは物理的ペーパーである必要はない。
自分が決めたコレという もの。
 それを手にいれることが目的だったので、手に入れた瞬間終わりだったんだ。
私にとって。

ただ。。それだけの事だった。

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