今日は月1のZOOMお話会の日。
今日は、思い切って帰国からずっと自分の中で形を少しづつ変えつつも
硬く錘になっていた想いを聴いてもらった。
今日前、それまでは、こんな事を言うのは勇気がいる事と思っていた。
だが。話しを聴いてもらい。。
それは父との事。。
問題に感じた事と出来事がクローズアップして
自分の脳の中にうつしだされていたが。
ふたりから痴呆というもの、こんな風な出来事がある。。こんな対処がある。
こんな観方をするといい。という話をしてもらい、
「痴呆症は病気だから」という一言をもらったうえで。
父に今まで育ててもらった感謝等。。
整った人にはなれないが、父という一人の人が今も生きてくれてる事への
感謝。。それは伝わってない。。というか。。
感謝がなかった。。んだなぁ。。
父をとおして、自分の老いを観ている。
それもきついのかもしれない。
あー、なりたくない。
あーなったら、誰も私の事を面倒なんて見てくれる人はいない。
どこか。。
悲観的に自分の事をも観て、将来をそう観ていたのだと思う。
さようなら。
父は怖い人だった。
父は優しい人だった。
父は頭がいい人だった。
父はユーモアある人だった。
父は一所懸命、存在をアピールする人だった。
父は母を愛していて、母が亡くなった後それを実感しまくって生きてた人だった。
友達に感謝する。
抜け道を今日、話しを放す事で見つけて観る事が出来た。
長い道のり。
しかし。今しかない。今という道のり。
和多志は何をする!?
・・・・・・・・・
ChatGPTとの会話から。
ChatGPTからNLP視点からの5つの問
①「父を通して自分の老いを観ていた」と気づいた瞬間、父と自分の間から何が消えた?
②「誰も私の面倒を見てくれない」という未来像の中で、本当に怖いのは何?
③「面倒を見てもらう/もらわない」という二択以外に、自分の老いにはどんな未来がある?
④「父に感謝しなければ」ではなく、「父が今生きていることを見る」としたら、何が見える?
そして一番重要なのが、
⑤「和多志は何をする!?」の“する”は、何を解決するための行動なのか?
それとも、ただ今日を生きるための行動なのか?
・・・・・・・・
①父と私の分離。親と子という長い歴史をとおして観た関係性でなく。
〇〇という一人の90歳近い人。そして わたしという人間。その二人の関係。
②人間関係がない、という事でなく、それ以上に身体的衰えで、自分の事を自分で処理出来ない。
という恐れ。その時サポートがなければ、野垂れ死にするのではないか!という
野垂れ死に。。母から言われた恐怖のkeywordを守っていたのが、ホラ!現実になったでしょ!
と自分と母からも烙印を押された様に感じるだろう。。。未来のシナリオ。
こう生きたいのか!?
母の言葉を現実化する事により、それが自分の望むことでなくとも、母に愛されてる証明がここにある
これが親子の絆 と観てる様。そこにおいてると眼鏡を壊すよ。ほらね!というあの時の母と私の様に。
それは弟の、あんたは十字架を背負って一生生きればいい!
そう言われた事。。家族の負の物語を自分が全て人生を通して体現しようとして、人生を〇〇家の和多志 として
みせようとしている幻想。
もっと大きな視点での 愛 はどこに行ったのだ!?
③「老いた自分=弱くなる自分=誰かに面倒を見てもらう自分」
という未来モデルがあった可能性・・無意識ゾーン!ゾンビゾーン!
日々人生であれば。
毎日毎日を意識的更に創造して生きる。その連続性の中に地球的スピリチュアル的豊かさのシンクロが観え
それを、地球の人間としての最期まで活きるようになる。
④父が今生きてる人として観ると、感謝を感じる。ありがとう!と。
⑤「和多志は何をする!?」の“する”は、私という個から、和多志という全体性へ・貢献を意図した
生き方へシフトするにつながる行動。

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